きょうだい児の回想録

小さい頃のいろいろな思い出、忘れないうちに

きょうだい児 5年生

5年生っていえばキャンプよね。

班分けして、作りたいもの考えて、買い物して・・・

私も仲良しさんといっしょの班になってうれしかったな

 

でも・・・きょうだい児だったからいけなかったんだよね

いじめにあったとかそういうのじゃないのね

キャンプのちょっと前に熱をだしてしまったの。

 

かなりひどい風邪だったんだけど、キャンプの一日前には熱さがって

「やったーキャンプ行ける!」

って喜んでいたんだけど・・・

 

お医者さんキャンプ行っちゃだめって言ったわけ

 

うちの事情よく知ってる先生だったから、これでこじれたら大変なことになるって

考えたんだと思う。すごく悩んでいたのわかったもの。

 

父が帰ってきてから荷物友達の家に持って行ったんだけど(料理の材料とか)

友達怒って出てきてくれなかった。

 

そしてキャンプ当日

私はひとりでおふとんで泣いてた。

ひとりだったから姉は入院してたんだよね

 

なかなかきつかったな

 

 

きょうだい児 4年生 

だんだん歳がわからなくなってきたので、学年にするね

4年生は全然覚えてないの。

担任の先生はおぼえてるのだけど・・・

理不尽な理由でめちゃめちゃ怒られて家で泣いてて、あまり泣くから

母が先生に訊いたみたい。

そしたら先生みんなの前で謝ってくれた。

みんなの前で怒ったものね。いい先生だったんだよね。

あの頃姉はどこにいたのだろう?

記憶がない

 

(ですます調はちょっと苦手、変えます)

きょうだい児 8歳 その4

姉の入院していた病院は都会のど真ん中でした。都会と言ってもその県のなかで。

なので、母はたまに息抜きに百貨店とかに行っていたようです。

夏休みは朝、父が姉の入院している病院に私を送って帰りにまた迎えにきて家に帰るという生活を送っていました。

たぶん月曜日だったのかな?私が病室に行くと、母が

「これいいでしょ?」と言ってだしたのが

ミニチュアの赤い家具セットでした。応接セットや鏡台やベッドなどプラスチックでしたが布張りしてあり、すごく素敵でした。

ぽ~っとみとれていると、

「おねえちゃんに買ってあげたの。すてきでしょ?」

・・・・・・・・・

・・・・・・・・・

「私のは!?」

私は叫んでいました。そして大泣きしました。

「え?」

母はびっくりしていました。

 

これを買ったとき、母は私のことなど考えもしなかったのでしょう。

おねえちゃんが喜べばみんなしあわせだとでも思っていたのかもしれません。

私の泣き声は、6人部屋にひびきわたっていました。

あれは 本当に悲しかったです。

 

そのあとしばらくして私にも同じのを買ってくれましたが

 

きょうだい児 8歳 自分が入院編 その2

母は補助ベッドで泊まり込んで看病してくれました。

毎日大きな注射を1本打たれました。血管のでない私に看護婦さんは悪戦苦闘。

最初は耐えてた私も何度も刺され、3日目くらいには打たれる前から泣いてました。

5日目くらいかな?母が

「注射が終わったらおねえちゃんのところ行ってくるね。」

そうかあ、おねえちゃんのところ行くのか。

(ふーん)

(半年くらい一日も帰ってこなかったのに、たった7日の間に一日行くんだ)

そう思っただけですが、それでどうってことないのですが、なんかなあ

でした。

 

きょうだい児 8歳 自分が入院編

もしかしてこの時は9歳だったかも?

さて、その日は友達の家から帰るとき、すごく寒かったのを覚えています。

いつものように○○さんで夕飯を食べ、家でテレビを見てると急にすごく気持ち悪くなりました。これはまずいと思いパジャマに着替えて、寝ようとしていたら、本当にひさしぶりに父が早く(といっても八時半ごろですが)帰ってきました。

泣きながら鍵を開ける私をみて

「どうした?」ときかれ

「気持ち悪い」と言って布団に入り父が持ってきた洗面器に思いっきり吐きました。

どうやらそれでわたしは寝てしまったのですが、父は次の日も休めなかったのでしょう。たぶん片っ端から病院に電話したのか、真夜中に起こされ、病院に連れていかれました。

「盲腸です。手術します。」

一週間の入院になりました。

手術が終わると母がいました。タクシーできたようです。

 

きょうだい児 8歳 その3

 まだ130センチにも満たない8歳の女の子を、朝から、(学校はありましたが)下手すると夜寝るまで一人にしなければならない親の気持ちは如何ばかりかと、・・・

と大人の私は思いますが・・・

 

 父は仕事が忙しく(まあ病院代かかる)母は姉につきっきりで、そんなこと考える余裕もなかったのか、もう私はいらない子なので、どうなろうとご勝手に、と思っていたのか?

 大人の言葉で書いていますが、その時の私が漠然と考えていたことです。

 入院していない時でも、特に父は、姉がかわいくてしょうがなく、なんでも姉が一番でしたから  ※1。

 でも、だからといって、両親をきらいではなくむしろ好きでした。

 

 この状況は一年近く続きます。アクシデント時は除きますが。

 

※1 私が小学1年生になる時、学習机を買ってもらったのですが、おねえちゃんが

   1年生になる時、だれかのお古の学習机をもらったそうです。なので私の新しい

   机はおねえちゃんのになり、わたしはお古の机になりましたw

   母はさすがにかわいそうに思ったのでしょうか?新しい机のうえに置く棚を

   買ってきてくれました。大きな棚を持って歩いて帰ってきた母の姿、今でも

   はっきり覚えています。

きょうだい児 8歳 その2

さて8歳の女子の平均身長は約127センチです。今のですからこの頃はもっと小さかったかも・・・

 

朝、父から鍵を渡され、出かけるときは鍵をかけ、外の洗濯機の中に入れておきなさいと言われました。まだのどかな時代でした(多分)

 

その時私は

(こうきたか!)

多分そんなこと考えていました。

 

あと1000円札を渡され

「これで、○○さんで夕飯食べなさい」と言われました。

○○さんというのは近所の食堂でした。

あと絶対火は使うなと言われました。

学校から帰ってくると、テレビをつけ、なんかぼーっとしてました。

6時ごろになると○○さんのところへ行って夕飯を食べました。

ラーメン、オムライス、チャーハンだったかな

しばらくすると新しいメニュー「カツカレーライス400円」というものができ

これを注文する日はとても豪華な気分になりました。

最初はお金がなくなるともらっていたのですが、ちょっと考えて

「このお金何日分(の食費)?」

と聞きました。そしたら父は大抵「三日分」と答えますので

ちょっとお金が欲しいときは、250円のラーメンを食べ続け、

お小遣いの足しにしてました。

そのころはやせてたなあwww