きょうだい児の回想録

小さい頃のいろいろな思い出、忘れないうちに

くま

たまに人間を襲ってしまう熊

本当はおくびょうな熊

 

小さい頃はかわいくて人間にもなつく熊

大きくなれば野生に帰って子育てする熊

 

たまたま人間に遭遇してしまい

怖くて襲ってしまった熊

 

体が大きくて爪も鋭いから

人間を傷つけてしまう

 

そしてその熊は殺される

 

人間の形をした動物はなぜばつをうけないのかな

 

きょうだい児っていう言葉

きょうだい児が差別用語とかいわれているとかいないとか

障害児の対として生まれた言葉らしいが

どこが差別なのかな?

定型?の兄弟姉妹とは違うという意味でできた言葉と

思うのだけど。

 

 

こういうこと言い出したのきょうだい児の親らしい。

 

 

 

じゃあどういう言葉で表現したらいいのか

その親たちに聞いてみたい

 

 

親の世代

親たちはいいよね

自由に青春時代をすごして

恋をして結婚して・・・

ほんとうにそう思います

普通に悩み、普通に幸せな時代があったんですよね

 

ただ、私の親は、というか親たちの世代はちがうんだな

 

戦争があったの

いっぱいつらいことがあったんだって

 

だからかわいそうって思ったんです。

若いころ大変で、やっと結婚して幸せになろうとしたら

こんなことになって・・・

なのにすごく頑張って、弱音ほとんどはかずに

頑張ってて、ほんとうにすごいって思っていました。

私に対してつらくあたったことも

仕方ないのかな

と思う時もありました。

 

 

だからね、姉がもう少し親たちのこと大事にしてくれてたら

ここまで嫌いにならずに済んだと思う

両親に対する姉の態度は一生許せないです。

 

 

 

施設

母が生きていた頃、よく

「施設入れないの?お母さんが倒れるよ。

 今から探しておこうよ。」

「うん・・・」

 

母は乗り気ではありませんでした。

 

以前、母が入院した時、姉は一時的に施設に預かってもらったのですが、姉、泣きわめいて、母は入院先からタクシーで車いすにのってなだめに行ったそうです。

さすがに私も(なんでそこまでするの?)と

母の行動にびっくりしたのですが、母だからな・・・とも

この二人の関係は未だに理解不能です。

 

この時のことを姉に聞いたら

「だって、捨てられたと思ったんだもん。」

と言いました。

 

 

 

 

徘徊

母と暮らしていた頃、姉はよく徘徊したそうです。

私のところにも警察から電話がかかってきたことが

あります。

「おねえさんが道に迷ったようですが・・・」

「?」

「そちらの電話番号を教えてくれたので」

 

真夏の暑い日の昼間でした。

 

「すみませんが、○○小学校の近くなので

 送ってやってくださいませんか?

 母は年なので・・・」

「いいですよ~」

 

なぜに私の番号を教えたのか?

多分、母だけでは大変でしょ~

私たちを引き取ったら~

 

ってことだったのでしょう。

 

今は徘徊してないようです。

鍵かけて外でたら散歩ですよね

だれも家にいないから気が付かれないし

 

 

父も母も大変だったと思う

悲しかったと思う

つらかったと思う

 

父は特に姉がかわいかったと思う。

母に似てかわいくて

そんな姉がつらいことになって、父がどんなに辛かったか

母もつらかったか

 

なのに妹は人並みに学校へ通い就職をしている。

おねえちゃんがこんなに大変なのに

 

いや待て

この子はおねえちゃんのために存在している

私たちがいなくなったらこの子が姉のめんどうをみるために

いま普通に存在しているのだ

 

まあこんな感じだろうな・・・・・

きょうだい児

twitter(綴りあってる?)で、きょうだい児さんのツイートを

よく読んでいます

いま50半ばなのですが、若いころ、やっぱりこういうことを

考えていたのかなと思います。

 

いまも姉の影に怯えています。

 

父も母もいなくなって、あれほど私に対してひどいことをしてきた姉が

全力で私に寄りかかろうとしています。

ただ、私は姉に対してはかなり冷酷に対応できるので

ひたすら逃げていますが

 

両親にかなり大切に?育てられた姉は、自分はだれからも愛されている

なくてはならない存在とおもっているようです。